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 水稲作における育苗箱施用殺虫剤は、散布の省力化や農薬の農地系外への流出防止に効力があり、普及が進んできました。育苗箱施用に適用がある殺虫剤は浸透移行性のある特性を持っています。特に、ネオニコチノイド系殺虫剤(略してネオニコ)やフィプロニルなどが多く使用されています。ところが、この育苗箱施用殺虫剤の使用に関わる生態影響への懸念が出てくるようになりました。

この問題をめぐる疑問点はいくつかあります。
(1)リスクが定量的に比較されていない。ネオニコが問題だという人はこれまで使用されてきた有機リン系殺虫剤と比較してリスクが高いことを示すべきですが、そのような比較がなされたことはありません。
(2)安易な農薬の代替が起こっている。○○がだめだから××を使おう、などという安易な農薬の代替はリスクを下げるとは限りません。××の生態影響はまだ未知なだけで○○よりもリスクが低いことを確認しているわけではないのです。事前に代替によってリスクが本当に下がることを評価しておく必要があります。
(3)特定の生物種に注目しすぎている。特定の生物のみを過剰に保護することは、その生物にとっては良い対策かもしれませんが、注目されない生物への影響を無視しており、違う生物にとっては悪影響があるかもしれません。幅広い生物種への影響を総合的に評価しておく必要があります。

 この研究では、育苗箱施用殺虫剤の代表として、ネオニコの1種であるイミダクロプリドとフィプロニル、比較対象として本田散布剤の有機リン系殺虫剤の代表であるフェニトロチオン(MEP)の定量的な生態リスク評価を行いました。リスク評価では種の感受性分布(species sensitivity distribution, SSD)を活用して、生物多様性への影響指標として「影響を受ける種の割合」を用いました。




 SSD解析のための毒性データ収集においては、淡水産水生生物を用いた急性毒性試験の既存文献の収集を行い、データの信頼性の評価(4段階)を行って、農薬生態毒性データベースを整備しました。イミダクロプリド、フィプロニルともに27種の毒性データが得られました。そしてEC50値もしくはLC50値の属平均値を対数正規分布に適合させると、節足動物とそれ以外の種で感受性が明確に区別されました(図1)。フェニトロチオンについては既存文献のSSD解析結果を用いました。

種の感受性分布曲線
図1.種の感受性分布曲線

 曝露評価では、河川水中のピーク濃度として、水産PEC(Tier2)を計算しました。また、河川と田んぼと両場面でのリスクを評価するため、田面水中最大濃度を文献から求めました。結果を表1に示します。農薬の環境中濃度は面積当たりの使用量、施用方法、物理化学性に依存する環境動態の違いなどにより、大きく変わります。フェニトロチオンとフィプロニルの最大田面水中濃度は1000倍程度も違ってくることがわかります。

PECと田面水中濃度
表1.PECと田面水中濃度

 図1の種の感受性分布と表1の河川水中濃度、田面水中濃度を用いて、節足動物に対する影響を受ける種の割合を計算しました。結果を図2に示します。河川においても、田んぼにおいても、影響の大きさはフェニトロチオン>イミダクロプリド>フィプロニルという順と評価されています。

影響を受ける種の割合
図2.影響を受ける種の割合(A)河川水中(B)田面水中。エラーバーは90%信頼区間を示す。




 ここで、疑問としてでてくるのは、図2の影響を受ける種の割合という指標は本当に同じものを比較できているのか?農薬の種類によって数字の意味するものは異なるのではないか?というものです。直接影響を受ける種が5%程度だったとしても、そこに生態学的に重要な種がたまたま含まれていれば、生物間相互作用によって、生態系は大きく崩れてしまうのではないか?という疑問はもっともです。そこで、生物群集への影響を調べるメソコスム試験との比較を行いました。メソコスム試験とは、野外又は屋外に人工的に設置した隔離実験水界を用いた模擬生態系試験です。多種類の生物が生息している系なので、生物間相互作用や比較的長期的な影響を見ることができるのが利点となっています。

 群集レベルの影響指標として、無影響と評価された濃度をNOECeco、若干影響がみられるが、数日以内に回復する程度の影響と評価された濃度をLOECeco、明らかな影響がみられるが、試験期間内(おおむね二か月程度以内)に回復が見られると評価された濃度をRCeco(Recoverable concentration)としました。この評価方法は、EUにおける水域生態毒性のガイダンス文書に記された影響クラス1-3に準拠しています。そのガイダンスでは、試験期間は8週間であり、添加する農薬濃度区毎に5段階(Class1-5)で影響を評価すると記載されています:Class1 No effect(無影響)、Class2 Slight effect (散布直後の数日のみ)、Class3 Clear short-term effect(数日以上の影響があるが、試験期間内に回復する)、Class4 pronounced effect in short-term study(試験期間内に数回農薬を添加しても影響は短期間)、Class5 Clear effect with no recovery(影響が大きく、試験期間内に回復できない)。文献から収集したメソコスム試験の評価結果を表2に示します。

メソコスム試験の評価結果
表2.メソコスム試験の評価結果

 各農薬のNOEC、LOEC、RCと、それぞれの農薬の種の感受性分布を用いて、野外群集の影響レベルと影響を受ける種の割合がどのように対応しているかを計算して比較しました(図3)。影響を受ける種の割合が10%程度のときは、野外での影響は検出することが難しいことがわかりました。NOECの濃度で影響がゼロなのではなく、野外では他の要因に埋もれて影響が検出できないだけであり、野外で検出できない低レベルの影響であっても種の感受性分布を用いると定量化して比較可能になります。また、影響が10-40%程度のときは数日程度で回復する軽微な影響であり、50-80%の種が影響を受けると評価された場合であっても、評価しているのは急性毒性による一時的な影響であるため、その後回復可能であることがわかります。もちろん長期的な曝露になればこの関係は変わってくることが予想されます。

 このように、影響を受ける種の割合と、実際の野外でみられる影響の大きさはリンクしており、その関係は農薬の種類によらず同様のものであることがわかりました。つまり、種の感受性分布を用いた「影響を受ける種の割合」という影響指標は農薬毎のリスクを横並びで比較しうるものであると言えます。

野外群集への影響度と影響を受ける種の割合との関係
図3.野外群集への影響度と影響を受ける種の割合との関係




 今回評価した3農薬による河川水中での影響は多くて10%程度であり、野外で影響が検出されるレベルよりも低く、その中でも有機リン系殺虫剤に比べて箱施用殺虫剤の2つはより低リスクであると評価されました。田面水中においては数10%の種が影響を受けると評価されましたが、一時的な影響はあるもののその後回復可能なレベルであることが予想されます。

 田んぼは作物生産の場であり、害虫の被害を防止するうえで虫の数をある程度抑えることは必須であるため、無影響レベルで管理することは不可能です。ただし、個体数の激減や絶滅を防ぐためには、作付期が終われば速やかに個体数を回復させることが望ましいと考えられます。つまり、目標とする管理レベルは無影響(NOECeco)ではなく、影響があるが回復可能であるレベル(RCeco)に設定することが現実的と考えらえれます。種の感受性分布はそのようなリスク管理にも有用となる可能性があります。このような考え方は、害虫防除と生物多様性保全を両立しようとする総合的生物多様性管理(Integrated Biodiversity Management, IBM)の概念とよくマッチングする考え方です。




Nagai T, Yokoyama A (2012)
Comparison of ecological risks of insecticides for nursery-box application using species sensitivity distribution
Journal of Pesticide Science, 37(3), 233-239



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