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 現行の登録保留基準に係る生態リスク評価のスキームは、リスク有りもしくはリスク無しの二者択一的な結論を導くものになっています。この手法ではリスク同士を比較することができないため、「農薬の使用量を減らす」、「より安全な農薬に切り替える」、「農薬の流出対策をとる」、などのリスク低減策をとった場合にリスクがどの程度減るのかを評価できません。効率的な農薬のリスク管理のためにはリスクを定量的な指標で表し、リスク低減対策の費用対効果の評価や優先順位付けを行うことが求められます。PEC/AEC比の値をリスク指標とすればよいという考え方もありますが、この大小でリスクの大きさは表現できません。なぜならば、水産登録保留基準ではPECはTier制で計算され、安全性が確認された時点で評価は終了します。そこで、Tier 1 PEC(より安全側の高い値になる)を用いたPEC/AEC比とTier 2 PEC(より現実的な値)を用いたPEC/AEC比では意味するものが異なります。また、魚類やミジンコの毒性に関して種間の感受性差の不確実性係数10が適用されますが、追加の試験生物種の毒性データを提出することでこの値は下がり、藻類では最初から1が適用されます。つまり、PEC/AEC比はリスクの大きさとは直接関係のない不確実性係数の大きさで変化してしまいます。

 これに対して不確実性を解析することによってリスクを確率として定量化する確率論的リスク評価は、(1)リスクの「ある」「なし」のみではなくその大きさを定量化できる、(2)不確実性係数などの影響を受けないリスクそのものを評価できる、(3)恣意的なリスクの有無の判断を回避できる、などの利点があります。

 この研究では、登録保留基準における生態リスク評価スキームの毒性評価や曝露評価の不確実性を確率論的に解析し、定量的な生態リスク評価を行いました。ケーススタディーの対象として、水稲用除草剤として日本国内で一般的に使用されているシメトリン(N2,N4-ジエチル-6-メチルチオ-1,3,5-トリアジン-2,4-ジアミン; CAS番号1014-70-6)を選定しました。シメトリンの登録保留基準は図1のように設定されています。
シメトリンの登録保留基準に係る生態リスク評価
図1.シメトリンの登録保留基準に係る生態リスク評価
(参考:水産動植物の被害防止に係る農薬登録保留基準の設定に関する資料:シメトリン)




 化学物質などのストレス要因に対する生物の感受性は一般的に種によって異なり、その違いを統計学的に表現したものが種の感受性分布(species sensitivity distribution, SSD)と呼ばれています。海外では、SSDの5パーセンタイル値に相当する濃度(95%の種が保護され、5%の種が影響を受ける濃度)をHC5(5% hazardous concentration)と表現し、水質基準値の設定に使用されています。また、SSD法は生態系への影響を確率分布として表すことができるので、定量的なリスク評価方法として有用になります。
 毒性評価では、文献などから45属にわたるシメトリンの水生生物に対する毒性試験の結果を収集しました。そしてEC50値もしくはLC50値の属平均値を対数正規分布に適合させると、動物と藻類で感受性が明確に区別されました(図2)。
シメトリンの種の感受性分布曲線
図2.シメトリンの種の感受性分布曲線。プロットはEC50, LC50値を低い順から積み上げたもの、曲線はそれらの点を対数正規分布に適合させたもの




 曝露評価では、モンテカルロシミュレーションにより河川水中濃度(PEC)が地域的のどの程度ばらつく可能性があるか、という変動性を解析しました。シミュレーションのためのPEC計算のモデル構造を図3に示します。
PEC算定(Tier 2)のモデル構造
図3.PEC算定(Tier 2)のモデル構造

 図3におけるモデルの入力パラメータは地域ごとにばらつきがあると考えられるため、その変動性をそれぞれ様々な統計データを根拠として確率分布として設定しました。各パラメータの確率分布からランダムサンプリングを行い、PECを計算するというのを10000回繰り返すモンテカルロシミュレーションを行いました。その結果、PECの平均は0.77 μg/l、中央値は0.38 μg/l、95パーセンタイル値は2.82 μg/lとなりました(図4)。従ってシメトリンの場合、標準シナリオによるPEC(0.71 g/l)はPECの分布において平均的な位置にあることが示されました。
モンテカルロシミュレーションの結果
図4.モンテカルロシミュレーションの結果




 曝露の分布と毒性の分布から、確率論的リスク評価を行いました。PECの超過確率の分布を藻類のSSDと重ね合わせると図5のようになります。二つの曲線が重なった部分の大きさがリスクの大きさを示します。
シメトリンの曝露と毒性の分布
図5.シメトリンの曝露と毒性の分布

 ある割合の種が影響を受ける濃度レベルの曝露を受ける確率をJoint Probability Curve(リスクカーブ)として表現することができます。図5の分布の重なり部分を拡大したものが図6(上)になります。ここで、10%の種が影響を受ける濃度の曝露を受ける確率は0.9%(a)、5%の種が影響を受ける濃度の曝露を受ける確率は1.5%(b)、1%の種が影響を受ける濃度の曝露を受ける確率は4.0%(c)となります。これらの点a, b, cをつなぐとリスクカーブ(図6下)が導かれます。(文献1)

分布の重なり
リスクカーブ
図6.上は図5における分布の重なり部分の拡大図であり、下はリスクカーブを示す

また、リスクカーブの下の面積は「全国平均的にどの程度の種が影響を受けるか」という指標となります。11種類の除草剤でこの指標(EPAF, 期待影響割合)を比較したものが図7になります。この中では、PEC/標準種EC50(ハザード比)は全て1以下になっていますが、その中でのリスクの大小を比較すると、ベンスルフロンメチルが6.2%で最も大きくなっています。(文献2)

PEC算定(Tier 2)のモデル構造
図7.除草剤11剤のEPAFとハザード比

 リスクの確率がどの程度であればどのくらいの問題があるのか、というところはいまだコンセンサスが取れてはいません。さらなるデータや解析例の積み重ね、リスク評価の検証などが今後必要になるでしょう。ただし、確率論的なリスクの定量化は、リスクの絶対値の意味付けよりも、統一された問題設定のもとでのリスクの相対比較を行う際に有用となります。リスク低減対策の効果は、「農薬使用」がどの程度減少したかではなく、「リスク」がどの程度減少したかで評価されるべきと考えられます。

 このように、リスクを確率として定量化する手法は、相対的にリスクを比較し、対策すべき物質の優先順位付け、リスク低減効果の評価、リスクとベネフィットの比較などのリスク管理の目的に有用であると考えられます。




文献1:永井孝志、稲生圭哉、堀尾剛 (2008)
不確実性を考慮した農薬の確率論的生態リスク評価:水稲用除草剤シメトリンのケーススタディー
日本農薬学会誌, 33(4), 393-402

文献2:永井孝志、稲生圭哉、横山淳史、岩船敬、堀尾剛 (2011)
11種の水稲用除草剤の確率論的生態リスク評価
日本リスク研究学会誌, 20(4), 279-291



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