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 現在農薬の水生生物に対する生態リスク評価手法の高度化に取り組んでいます。

 農薬は農業生産にとって欠かすことの出来ない有用な化学物質です。ところが、食の安全、生態系保全に対する意識の高まりとともに、農薬の負の影響が大きく注目されています。

 特に生態系への影響という面に着目しますと、水田で使用される農薬は直接河川へ流出し、河川生態系へ影響することが懸念されます。また、農薬の標的生物(殺虫剤の場合害虫,除草剤の場合雑草)と非標的生物(水圏では甲殻類や水生昆虫もしくは藻類)が分類学的に近いこともあり、これらの非標的生物に対して高い毒性を持つという特徴を持っています。そこで近年、生態リスクに関する農薬の規制が始まり、農薬の登録に際しては水生生物に対するリスク評価を行い、リスクの懸念があるものについては使用できなくなりました。
(参考:環境省水環境部, 水産動植物の被害防止に係る登録保留基準について)
水産登録保留基準 図1.登録保留基準に係る生態リスク評価のスキーム。PECは河川水中の予測農薬濃度(Predicted Environmental Concentration)、AECは急性影響濃度(Acute Effect Concentration)を示す。


 「では現在の農薬は安全性が評価されており、安全なものしか使われていないのにどうしてリスク評価が必要なのか?」という疑問を持たれることかと思います。そもそも生態系は現場の情報が不確実であり、また絶えず変動し得る非定常系である、という特徴があります。よって生態系の保全は当初の予測がはずれる事態が起こり得ることをあらかじめ管理システムに組み込み、その時点での状況に合わせて対応を変えるという「順応的管理」が必要となるのです。リスク評価が必要な理由はこの不確実性への対処ということになります。

 この順応的管理を農薬の生態リスクにあてはめると、理想的には以下のような管理体制の在り方が考えらます:
農薬の登録審査時にスクリーニングレベルのリスク評価(事前評価)を行い、生態リスクに関する基準を満たしたものを使用可とする。そして使用中に常に環境中濃度のモニタリングを継続的に行い詳細なリスク評価(事後評価)を行う。この結果を受けてリスクの懸念がある場合には、使用方法の再検討など柔軟に管理体制を変更してゆくというフィードバック体制を築くのが望ましい。
農薬の生態リスクの順応的管理 図2.順応的管理の概念図

 事前評価は農薬登録に際してYES or NOの判定が目的であるため、安全か危険かの二者択一的(決定論的)、generic(日本全体的)、さらには安全側の立場(リスクが大きめに見積もられるような仮定を採用する)でのリスク評価となります。これに対して事後評価ではすでに一定の安全性は担保されているため、リスクとベネフィットの比較やリスク低減対策の費用対効果などから効率的な管理体制を提案することが目的となります。よって、リスクは安全か危険かではなくて定量的であること、地域限定的なリスクも取り上げること、さらには過度に安全側の推定を避けることが必要になります。安全側の推定でリスクが過大評価されれば,適切なリスク比較は不可能になり、さらにリスク低減対策の効果も過大評価されてしまいます。

 登録保留基準の改正により、生態リスクの事前評価の体制は整いましたが、農薬の使用段階における事後評価についてはあまり議論がされておらず、まとまった評価例も国内では存在しません。

 欧米では農薬の詳細な生態リスク評価は進んでいますが、欧米の農業は畑作が主要であり、対象とする水域は湖沼が主体となっています。これに対して日本の農業は水田が主要であるためリスク評価の対象は、水田で使用される農薬の河川生態系への影響とするべきです。国内においても工業用途の化学物質については詳細なリスク評価が進んでいます(中西準子ほか 詳細リスク評価書シリーズ 丸善)。しかし、これらのリスク評価で開発された手法は経常的な曝露を想定したものであり、使用する時期が限定されるため一過性の曝露が問題となる農薬のリスク評価にそのまま使用することはできません。そのため、日本の生態系を対象とした、独自の農薬の生態リスク評価手法の開発が必要になります。


 以上の背景を踏まえて、以下の三点を達成することを目標に研究に取り組んでいます。

(1)種の感受性分布や曝露濃度の分布を組み込んだリスクの定量的(確率論的)評価手法の確立を行う。リスクが定量化できるとリスクとリスク、もしくはリスクとベネフィット(農薬の使用によって得られる便益)との比較を行うことができるようになる。

(2)地域限定的なリスクの評価手法の確立を行う。生態リスクの地域的なバラツキ(空間分布)は現時点では考慮されていないが、リスクは現実には地域限定的に存在する。

(3)安全側の評価である個体レベルのリスク評価(現状の生態リスク評価の大部分を占める)から、より現実的な個体群レベルの評価手法の確立を行う。個別の急性毒性試験データを用いたリスク評価は「個体レベル」の評価であるが、生態系の維持という目的のためには「一時的な個々の生物個体の保護」よりも「長期的な個体群の維持」がより現実的なエンドポイントとなる。




永井孝志 (2008)
農薬の生態リスクの評価と管理
資源環境対策, 44(12), 82-87



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