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 霞ヶ浦では1970年代から夏にアオコ(Microcystisという藻類の異常増殖)が見られ、水道水の異臭味障害を引き起こしたり、ミクロキスチンという毒素の産生によるリスクの増大が懸念されました。ところが1987年ころからアオコの発生が見られなくなり、代わりにPlanktothrix(かつてOscillatoriaと呼ばれた)という糸状性の藻類が優占するようになりました。

霞ヶ浦における藻類優占種の変遷
図1.霞ヶ浦における藻類優占種の変遷(霞ヶ浦データベースより)。クリックすると拡大。

 この原因を突き止めることは水質管理対策を考える上で重要であると考えられました。最初は窒素とリンが原因として疑われました。湖水中の窒素とリンの比(N:P比)が1987年ころから高くなり、より高いN:P比を好むPlanktothrixが優占するようになったと考えられたのです。ところが、1993年ころからまた1986以前のようにN:P比が減少しましたがアオコは発生しませんでした。さらに2000年以降ではPkanktothrixもほとんど見られなくなり、珪藻類が優占するようになりましたが、この原因もよくわかっていません。

霞ヶ浦における全窒素、全リン、窒素:リン比
図2.霞ヶ浦における全窒素、全リン、窒素:リン比(霞ヶ浦データベースより)。クリックすると拡大。

 ここで登場したのが鉄仮説です。人間も鉄不足になりますが、藻類もまた鉄不足で増殖できなくなっているのではないか、というものです。鉄はすべての植物プランクトンにとって必須元素であり、外洋などでは枯渇しやすいことが知られています。鉄は水にとても溶けにくいものです。通常鉄(三価)は純水には0.00000001g/Lしか溶けられません。非常に少ない鉄を争って藻類の種の間で競争が起きているのではないかと考えられました。実際に湖水に鉄を加えるとMicrocystisの増殖が大きくなるという実験結果が得られました。また霞ヶ浦の溶存鉄濃度は減る傾向を示しています。

霞ヶ浦における溶存鉄濃度の変化
図3.霞ヶ浦における溶存鉄濃度の変化(霞ヶ浦データベースより)。クリックすると拡大。上段はICP-ESによる分析、下段は原子吸光法による分析、使用したろ紙などが違うため濃度は一致しないが傾向は同じ。

 しかしながら、鉄の藻類に対する影響はそう単純ではありません。溶けている鉄といってもいろいろな種類があり、藻類が利用できるものとできないものがあります。特に湖水中の溶存有機物と結合している(錯形成している)鉄は利用できません。

鉄の存在形態と生物利用性
図4.鉄の存在形態と生物利用性。クリックすると拡大。

 つまり、藻類の増殖に対する鉄の影響を調べるには、溶存鉄の濃度のみならずその存在形態を分別すること(スペシエーション)が不可欠になります。ところが湖水中での鉄スペシーションの研究例はこれまで無く、分析方法も確立されていませんでした。




 海洋学の分野では競争的配位子交換反応−吸着濃縮ボルタンメトリー(CLE-AdSV)という方法が開発され、金属のスペシエーション研究が進んでいます。これまでに海水中の金属のほとんどが有機物と結合している状態であり、生物が利用可能なものの割合は非常に低いことが知られるようになりました。

 私の研究ではこの方法を湖水に適用して、霞ヶ浦における鉄の存在形態を明らかにしました。結果、藻類が直接利用可能な無機態の鉄の濃度を定量することに湖水において始めて成功し、その濃度が外洋と同程度に低いことを発見しました。これにより、溶存鉄濃度が海水に比べて高い湖水においても、鉄が植物プランクトンの制限物質になりうることを証明しました(文献1)。

 続いて霞ヶ浦における溶存鉄とそのスペシエーションの調査を2002年から2003年にかけて行い、その水平分布や季節変動等を明らかにしました。霞ヶ浦の溶存鉄は河川水起源であり、河川から湖心に流れるにつれて有機態鉄の割合が高くなり、また季節変動が少なくなり安定性が増すことが明らかになりました(文献2)。

霞ヶ浦における鉄の存在形態
図5.霞ヶ浦における鉄の存在形態。クリックすると拡大。

 ところで、溶存鉄濃度と溶存鉄の存在形態はどのような要因で変動しているのでしょうか。このことを調べるために、毎年アオコが発生している霞ヶ浦近郊の用水路(茨城県美浦村)において、2003年7月から9月までの3ヶ月間週2回程度の頻度の高いサンプリング調査を行いました。全溶存鉄濃度、無機態鉄濃度は大雨がありpHが低下した後に急上昇するという特徴が見られました。溶存鉄濃度と最も相関の高かったのはpHであり、鉄の懸濁物への吸着、溶出という相互作用のpHによる変化が重要な変動要因であると考えられました。鉄の存在形態については、溶存鉄中の有機態鉄の割合とMicrocystisの細胞密度の間の相関が高いことがわかりました。これについては藻類による無機態鉄の取り込みや吸着、藻類による鉄有機リガンドの放出など、いくつかの変動要因が絡んでいると考えられました。 (文献6)




 実際に天然水中では、藻類の増殖と鉄のスペシエーションはどのように関わっているのでしょうか。天然サンプルを用いた藻類の培養実験と鉄のスペシエーション分析を同時に行った研究例はこれまで報告されていません。そこで2002年8月、アオコが発生していた霞ヶ浦近郊の用水路においてサンプルを採取し、栄養塩、全溶存鉄、鉄のスペシエーション分析を行いました。さらにMicrocystisとPlanktothrixの二種を用いた藻類増殖能試験(AGP試験)をそれぞれ行い、増殖制限物質を調べました。アオコが出ていない地点のサンプルでは窒素、リンの添加に加えて、鉄の添加によりはじめて増殖量が大きく伸びました。各地点の制限物質の変化は窒素、リン、溶存鉄濃度からだけでは説明がつきませんでしたが、鉄の存在形態を含めると上手に説明ができました。これにより、藻類の増殖制限物質の解析の際には鉄のスペシエーションが非常に重要であることを初めて実際現場のサンプルを用いて証明することができました(文献3)。

 続いて霞ヶ浦における藻類による鉄の利用性を定量的に評価することを試みました。湖水サンプルにUVを照射し溶存有機物を分解すると、鉄と錯形成する有機物も分解され、鉄の利用性が変化します。このUV照射とAGP試験を組み合わせ、藻類の鉄の利用性とその藻類種による違いを定量的に評価する手法を確立しました。サンプルとして2002年7月〜2003年4月の霞ヶ浦湖心から採取した湖水を用いました。Microcystis、Planktothrix両種とも増殖制限物質は窒素、リン、鉄の三種類でした。サンプルによって鉄の利用性は大きく異なり、また同じサンプルでもMicrocystisとPlanktothrixでは鉄の利用性が異なることが明らかとなりました。CLE-AdSVによるスペシエーション分析の結果、すべての湖水サンプル中で99.9%以上が有機態鉄として存在していました。現在の霞ヶ浦では実際に鉄が制限物質になっているため、このような藻類種による鉄の利用性の違いが藻類の優占機構に関わっていることが示唆されました(文献4)。

 各藻類種の鉄に対する詳細な増殖特性を把握することが重要になりますが、淡水の藻類ではこれまで研究例がありませんでした。そこで人工培地を用いた純粋連続培養系で、鉄の濃度を変化させながら培養を行い、増殖速度、鉄濃度、鉄の体内濃度を測定しました。さらに鉄の取り込み速度を異なる飢餓状態において測定しました。これらの増殖特性からそれぞれの種の増殖をモデル化し、鉄制限時におけるモデルによるシミュレーション結果と実際の培養実験の結果とよく一致することを確認しました。また、MicrocystisとPlanktothrixの鉄制限時における種間競争をシミュレーションしたところ、Microcystisが優占するという結果が得られました(文献5)。

鉄制限下におけるMicrocystisとPlanktothrixの種間競争
図6.鉄制限下におけるMicrocystisとPlanktothrixの種間競争。クリックすると拡大。




 実際の現場における藻類の増殖を制限する要因を探ることは非常に困難です。それは、特定の藻類種の増殖速度を測定することは難しいからです。サンプルを採取して実験室に持ち帰り、藻類の培養(連続培養)を行って増殖速度を測る方法(ケモスタット法)が一般的な方法になっています。ところが実験室で培養を行うため、光源として蛍光灯を使用することになり、現場での光の影響を評価することができません。このため現場増殖速度の測定においては、培養期間を必要とせず、特定の種の、生理状態を確実に反映した増殖速度の測定方法の開発が求められてきました。微生物では細胞内のRNA含量と成長速度の間には良い相互関係があり、増殖速度の指標とすることができます。また、分子生物学の発展により、環境中から特定の藻類種の遺伝子のみを増幅し、元々あった存在量を定量できる手法が開発されてきました。

 この方法を用いて、河川水中からMicrocystisのみのRNAを抽出し、その存在量から増殖ポテンシャルを評価する調査を行いました。従来のケモスタット法とこの新しい方法にて増殖速度、増殖ポテンシャルを評価して比較を行い、増殖制限要因の解析を行いました。この新しい方法の有効性を確認し、冷夏となった2003年のMicrocystisの増殖制限要因として最も影響の大きかったのは日射量であることを明らかにしました。




 以上の結果から霞ヶ浦の藻類優占種の変遷の要因について考察をしてみましょう。
 Microcystisの場合、(1)鉄は窒素、リンなどと同時に制限物質になっている、(2)鉄の要求量が比較的低い、(3)有機態鉄の利用性が高い、(4)鉄制限の下でPlanktothrixとの競争に勝つ、(5)シミュレーションでは50 nM程度の鉄でアオコ状態まで増えられると予測される、などの理由から、鉄はMicrocystisの増殖制限要因の一つではあるが、鉄のみでアオコが発生しない原因を説明することはできないと結論付けられます。他の制限要因と組み合わせて考える必要があるでしょう。
 Planktothrixの場合、(1)鉄は第一の制限物質である、(2)鉄の要求量が高い、(3)有機態鉄の利用性が低い、などの理由から、霞ヶ浦で2000年以降増えなくなったのは鉄制限が原因であると説明することが可能です。




文献1.Nagai T, Imai A, Matsushige K, Yokoi K, Fukushima T (2004)
Voltammetric determination of dissolved iron and its speciation in freshwater
Limnology 5(2), 87-94

文献2.Nagai T, Imai A, Matsushige K, Yokoi K, Fukushima T (2007)
Dissolved iron and its speciation in a shallow eutrophic lake and its inflowing rivers
Water Research, 41(4), 775-784

文献3.Nagai T, Imai A, Matsushige K, Fukushima T (2005)
Limiting nutrients on the growth of bloom-forming cyanobacteria with special focus on iron speciation
Verhandlungen Internationale Vereinigung fur theoretische und angewandte Limnologie, 29(2) 949-952

文献4.Nagai T, Imai A, Matsushige K, Fukushima T (2006)
Effect of iron complexation with dissolved organic matter on the growth of cyanobacteria in a eutrophic lake
Aquatic Microbial Ecology 44(3), 231-239

文献5.Nagai T, Imai A, Matsushige K, Fukushima T (2007) Growth characteristics and growth modeling of Microcystis aeruginosa and Planktothrix agardhii under iron limitation
Limnology 8(3), 261-270

文献6.Nagai T, Imai A, Matsushige K, Yokoi K, Fukushima T (2008)
Short-term temporal variations in iron concentration and speciation in a canal during a summer algal bloom
Aquatic Sciences, 70(4), 388-396

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